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【神戸スイーツ年代記(クロニクル)】アンテノール 比屋根毅 72歳(産経新聞)
- 2010.06.15 Tuesday
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- 13:03
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- by kkdcqik9fe
□工房付き店舗導入 デパ地下ブーム牽引
■作りたてをその場で。職人の技も見せたかった。
■本場の技術をものに。たとえ店がつぶれても。
「おいしい生活」。糸井重里によるキャッチコピーで、西武百貨店の広告が注目を集めたのは昭和57(1982)年のこと。1980年代のデパートは黄金期で、ライフスタイルを提案、消費文化を牽引(けんいん)していた。
大阪で、食品売り場では他店の追随を許さぬ人気を誇った阪神梅田本店。アンテノールは56年、地下鉄の改札口に近い売り場の一等地に登場し、客の目をくぎ付けにした。
ガラス張りの工房内で、白衣に身を包んだ菓子職人が手際よく生クリームを絞り、スポンジに模様を描いていく。ケーキを彩る果物は季節ごとに変わる。実演販売がウリの工房付きの店舗がデパートに初めて誕生したのである。
「作りたて生ケーキをその場で売る。芸術的な職人の技も見せたかった」と振り返る比屋根。以後、スイーツは食品売り場の主役をさらい、「デパ地下」ブームの立役者となる。
アンテノールが時代の扉を開いた、といっても過言ではなかろう。
◆日本版フォションを
比屋根は、アンテノールの母体となるエーデルワイスを41年に兵庫県尼崎市で創業した。翌年にはパリの洋菓子研究所で研修を受けるなど、店を留守にして毎年のように渡仏する。
「本場の技術をものにしたかった。そのためなら、たとえ店はつぶれてもいいと思っていた」
パリの老舗、フォション(1886年創業)に学び、菓子だけでなく総菜も扱う「日本版フォションをつくろう」と決心、業務提携にこぎつける。
が、日本で同名の商標が登録されていたため計画は頓挫、独自ブランドで「フォション以上の店を出す」ことに。それがアンテノールだった。
53年、1号店が神戸・三宮の北野坂にオープン。当時は「ルイ・ヴィトン」「シャネル」といったヨーロッパのファッションブランドが日本でブームになり始めたころで、「パリ仕込みの、わが国初の高級デリカテッセン」を目指した。
大阪万博をにらんで開業、フランス料理・菓子で高い評価を得ていたホテルプラザ(大阪市、後に閉鎖)から料理人を招き、厨房(ちゅうぼう)をまかせた。ところが、これが大失敗だった。
「一個ずつ芸術品のように時間をかけて作る、とても効率が悪く、もうかるわけがなかった」
総菜大手、ロック・フィールド(神戸市)のブランド「RF1」がデパ地下で人気を呼ぶなど、「中食」ブームが来るのは10年以上たってからのこと。
「テリーヌなどを並べてみたが、買いに来るのは近所に住む外国人くらい。当時はまだ早すぎた」
菓子一本にしぼり、ホテルで出されるデザートと同レベルの高級菓子のテークアウト(持ち帰り)を実現することにした。
阪神出店で成功のきっかけをつかんだ後は、焼きたてフランスパンの「ルビアン」(昭和57年設立)、ベルギーチョコレートの名門と提携した「ヴィタメール」(平成2年設立)と、高級路線のブランドを立ち上げていった。
◆フランチャイズ撤退
かつてケーキといえばバタークリームで作られていた。いつごろから生クリームに変わったのか。それは冷蔵ショーケースの技術が進歩、普及する昭和40年代中ごろとみられている。
比屋根もそのころ、デコレーション用の生クリーム開発に成功している。当時の生クリームは絞っても、うまく形ができずデコレーションには不向きだった。それを独自製法で可能にしたのである。
生クリームのケーキは大人気を呼び、これに勢いを得て大手は、フランチャイズチェーン化による大量生産、大量販売を推し進めていく。コトブキ(現コンフェクショナリーコトブキ、神戸市)、タカラブネ(現スイートガーデン、京都市)が先行した。エーデルワイスも47年、工場を新設して参戦、大衆路線でシェア獲得に突き進む。ピーク時150店舗で売り上げ50億円を達成し、さらに出店目標を500店にまで引き上げた。
しかし、思わぬ敵がたちはだかった。コンビニエンスストアの台頭である。
「コンビニに並ぶお菓子を実際に買って食べてみた。けっして味は悪くないし、いずれ大変な脅威になるだろうと思った」
また、フランチャイズ展開と同時進行でアンテノールなど新ブランドを立ち上げていったため、二兎も三兎も追う戦略が経営に無理を強いていた。
「フランチャイズから撤退する」。何年も悩み抜いた末、決断した。63年、当時1日100万円も売り上げていた直営の本店を閉めることから着手。フランチャイズ一店一店に頭を下げて回り、補償費には5億円くらいかかった。
沖縄県石垣島に生まれ育った。15歳で島を出て、菓子職人としての修業時代は「コンクール荒らし」の異名をとるほどで、受賞歴は100を数えたという。創業後もずっと攻め一方だった比屋根が初めて挑んだ撤退戦。「会社の存続が僕の使命、社員の生活を守る責任がある」と周囲の反対を押し切った。
攻めよりも撤退の方が難しいとよくいう。10年に及ぶ撤退戦を経験したことで、経営者としての自信を得たに違いない。
大衆路線から高級路線への転換に成功したエーデルワイス。その名を冠した店舗は無くなったが、アンテノールをはじめ3大ブランドをメーンに全国77店舗を展開し、グループ全体で売り上げ165億円(平成20年3月期)、従業員数約2250人で業界大手として君臨している。
来年、アンテノールの阪神出店から30年。が、当時とはうってかわって今、デパートは冬の時代。経営統合を進めたものの、従来の業態では売れない、生き残れないとの厳しい見方もあり、どこも新たな売り方を模索している。それは、アンテノールのごとくデパートへの出店で事業拡大してきた洋菓子大手にとっても死活問題だ。
かつてデパ地下を変えた比屋根は、どんな奇策で攻勢に転じるのだろうか。(敬称略)
文・安東義隆
・ <菅政権>「荒井戦略相」の対応に追われる(毎日新聞)
・ 季節知る遺伝子の働き解明=ハクサンハタザオで―京都大など(時事通信)
・ <新潟水俣病>4次訴訟 患者会が和解協議入りを決定(毎日新聞)
・ 社民が参院選キャッチフレーズ「生活再建まっしぐら」(産経新聞)
・ 首相臨時代理1位は仙谷官房長官(産経新聞)
■作りたてをその場で。職人の技も見せたかった。
■本場の技術をものに。たとえ店がつぶれても。
「おいしい生活」。糸井重里によるキャッチコピーで、西武百貨店の広告が注目を集めたのは昭和57(1982)年のこと。1980年代のデパートは黄金期で、ライフスタイルを提案、消費文化を牽引(けんいん)していた。
大阪で、食品売り場では他店の追随を許さぬ人気を誇った阪神梅田本店。アンテノールは56年、地下鉄の改札口に近い売り場の一等地に登場し、客の目をくぎ付けにした。
ガラス張りの工房内で、白衣に身を包んだ菓子職人が手際よく生クリームを絞り、スポンジに模様を描いていく。ケーキを彩る果物は季節ごとに変わる。実演販売がウリの工房付きの店舗がデパートに初めて誕生したのである。
「作りたて生ケーキをその場で売る。芸術的な職人の技も見せたかった」と振り返る比屋根。以後、スイーツは食品売り場の主役をさらい、「デパ地下」ブームの立役者となる。
アンテノールが時代の扉を開いた、といっても過言ではなかろう。
◆日本版フォションを
比屋根は、アンテノールの母体となるエーデルワイスを41年に兵庫県尼崎市で創業した。翌年にはパリの洋菓子研究所で研修を受けるなど、店を留守にして毎年のように渡仏する。
「本場の技術をものにしたかった。そのためなら、たとえ店はつぶれてもいいと思っていた」
パリの老舗、フォション(1886年創業)に学び、菓子だけでなく総菜も扱う「日本版フォションをつくろう」と決心、業務提携にこぎつける。
が、日本で同名の商標が登録されていたため計画は頓挫、独自ブランドで「フォション以上の店を出す」ことに。それがアンテノールだった。
53年、1号店が神戸・三宮の北野坂にオープン。当時は「ルイ・ヴィトン」「シャネル」といったヨーロッパのファッションブランドが日本でブームになり始めたころで、「パリ仕込みの、わが国初の高級デリカテッセン」を目指した。
大阪万博をにらんで開業、フランス料理・菓子で高い評価を得ていたホテルプラザ(大阪市、後に閉鎖)から料理人を招き、厨房(ちゅうぼう)をまかせた。ところが、これが大失敗だった。
「一個ずつ芸術品のように時間をかけて作る、とても効率が悪く、もうかるわけがなかった」
総菜大手、ロック・フィールド(神戸市)のブランド「RF1」がデパ地下で人気を呼ぶなど、「中食」ブームが来るのは10年以上たってからのこと。
「テリーヌなどを並べてみたが、買いに来るのは近所に住む外国人くらい。当時はまだ早すぎた」
菓子一本にしぼり、ホテルで出されるデザートと同レベルの高級菓子のテークアウト(持ち帰り)を実現することにした。
阪神出店で成功のきっかけをつかんだ後は、焼きたてフランスパンの「ルビアン」(昭和57年設立)、ベルギーチョコレートの名門と提携した「ヴィタメール」(平成2年設立)と、高級路線のブランドを立ち上げていった。
◆フランチャイズ撤退
かつてケーキといえばバタークリームで作られていた。いつごろから生クリームに変わったのか。それは冷蔵ショーケースの技術が進歩、普及する昭和40年代中ごろとみられている。
比屋根もそのころ、デコレーション用の生クリーム開発に成功している。当時の生クリームは絞っても、うまく形ができずデコレーションには不向きだった。それを独自製法で可能にしたのである。
生クリームのケーキは大人気を呼び、これに勢いを得て大手は、フランチャイズチェーン化による大量生産、大量販売を推し進めていく。コトブキ(現コンフェクショナリーコトブキ、神戸市)、タカラブネ(現スイートガーデン、京都市)が先行した。エーデルワイスも47年、工場を新設して参戦、大衆路線でシェア獲得に突き進む。ピーク時150店舗で売り上げ50億円を達成し、さらに出店目標を500店にまで引き上げた。
しかし、思わぬ敵がたちはだかった。コンビニエンスストアの台頭である。
「コンビニに並ぶお菓子を実際に買って食べてみた。けっして味は悪くないし、いずれ大変な脅威になるだろうと思った」
また、フランチャイズ展開と同時進行でアンテノールなど新ブランドを立ち上げていったため、二兎も三兎も追う戦略が経営に無理を強いていた。
「フランチャイズから撤退する」。何年も悩み抜いた末、決断した。63年、当時1日100万円も売り上げていた直営の本店を閉めることから着手。フランチャイズ一店一店に頭を下げて回り、補償費には5億円くらいかかった。
沖縄県石垣島に生まれ育った。15歳で島を出て、菓子職人としての修業時代は「コンクール荒らし」の異名をとるほどで、受賞歴は100を数えたという。創業後もずっと攻め一方だった比屋根が初めて挑んだ撤退戦。「会社の存続が僕の使命、社員の生活を守る責任がある」と周囲の反対を押し切った。
攻めよりも撤退の方が難しいとよくいう。10年に及ぶ撤退戦を経験したことで、経営者としての自信を得たに違いない。
大衆路線から高級路線への転換に成功したエーデルワイス。その名を冠した店舗は無くなったが、アンテノールをはじめ3大ブランドをメーンに全国77店舗を展開し、グループ全体で売り上げ165億円(平成20年3月期)、従業員数約2250人で業界大手として君臨している。
来年、アンテノールの阪神出店から30年。が、当時とはうってかわって今、デパートは冬の時代。経営統合を進めたものの、従来の業態では売れない、生き残れないとの厳しい見方もあり、どこも新たな売り方を模索している。それは、アンテノールのごとくデパートへの出店で事業拡大してきた洋菓子大手にとっても死活問題だ。
かつてデパ地下を変えた比屋根は、どんな奇策で攻勢に転じるのだろうか。(敬称略)
文・安東義隆
・ <菅政権>「荒井戦略相」の対応に追われる(毎日新聞)
・ 季節知る遺伝子の働き解明=ハクサンハタザオで―京都大など(時事通信)
・ <新潟水俣病>4次訴訟 患者会が和解協議入りを決定(毎日新聞)
・ 社民が参院選キャッチフレーズ「生活再建まっしぐら」(産経新聞)
・ 首相臨時代理1位は仙谷官房長官(産経新聞)
「クリスマスで使おうと…」=陸将補、無断でモミの木掘らせる―陸自東富士演習場で(時事通信)
- 2010.06.07 Monday
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- 20:04
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- by kkdcqik9fe
茨城県内の駐屯地に所属する陸将補(55)が駐屯地でのクリスマス行事に使うため、部下に指示して東富士演習場(静岡県)のモミの木を勝手に掘り起こさせたとして、陸上幕僚監部は4日、陸将補を減給1カ月、6分の1の懲戒処分にした。
陸幕によると、陸将補は昨年11月、所属する駐屯地の部隊が同演習場で訓練を行った際、クリスマスツリーに適したモミの木を発見。掘り起こして駐屯地まで運ぶよう部下に指示した。
同月26日、隊員約10人がモミの木1本をいったん掘り起こしたが、別の隊員から「勝手に掘り起こしては駄目だ」と指摘され、埋め戻したという。モミの木があったのは私有地だった。
陸将補は「国有地だと思っていた」などと説明したが、陸幕によると、国有地でも立木を掘り起こすには演習場側への届け出が必要という。
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同月26日、隊員約10人がモミの木1本をいったん掘り起こしたが、別の隊員から「勝手に掘り起こしては駄目だ」と指摘され、埋め戻したという。モミの木があったのは私有地だった。
陸将補は「国有地だと思っていた」などと説明したが、陸幕によると、国有地でも立木を掘り起こすには演習場側への届け出が必要という。
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